言葉

あなたは言葉に苦手意識があるだろうか。自分は苦手だ。恐らく、読書などで言葉に慣れ親しんでいれば、言葉の引き出しが自然とできるのだろう。そうすれば、自分の気持を説明する時に、引き出しから最も近い言葉を使えばいい。どういうわけか、言葉に触れるべき時間を、自分は別の事に割いてしまったようだ。

自分の気持を、言葉で表現できない状態は、孤独と苦しみを伴う。日本語が通じても、まるで外国にいるような感覚である。自分の存在を自分一人で証明することが困難である事と同じように、自分の感情を自分一人で確認することは困難だ。誰かの共感をもってして、自分の気持を確認したい、常にその欲求を抱いてしまう。自分の気持ちを確認できなくなることは、自分の気持ちの存在の否定につながる怖れがあるからだ。

言葉というものは、日本語のような、喋ったり聞いたり書いたりするものだけを指し示す以上の意味を持つと考えている。自分の気持を、他者に少しでも共感してもらえるように、表現する手法全般を意味するのではないか。そう考えると、自分はまだ、自分の言葉を持つことができていない。あなたは、自分の言葉を本当に持っているだろうか。

言葉を持たない人間は、母国語の持たない人間だ。そのような人間が、共感を得られない苦悩をどのように克服しているのか分からない。もしかしたら、得た感情そのものを、最初から存在しなかった事にしてしまえば、苦悩すらも感じなくなるのかもしれない。しかし、思っている以上にあなたの身体は騙すことができない。本来ある苦悩は必ずあなたの身体に蓄積する。蓄積した負のエネルギーは、予想できないタイミングで暴発し、取り返すのつかないダメージを身体に負わせてしまう。自分はそのような事態になることが怖かったのか、常に自分の言葉の候補を必死に探し続けている。

言葉の候補はときに絵であったり、音楽であったりする。候補が見つかった時は、長く囚われていた迷路の出口を見つけた時のように、嬉しいものだ。ただ、候補に触ってみては、少し自分の表現したいものと違う気がすると思い、別の候補をまた探しはじめたりする。こんな自分は、はたからみれば、いわゆる、熱しやすく冷めやすい人間だ。

もしあなたが同じような経験をしているのであれば、きっとこの先も孤独な日々を過ごす事になるだろう。基本的には誰もあなたの事を理解してもらえる人はいないし、時には、あなたの努力を馬鹿にする人が出てくるだろう。また、誤解されてまるであなたの人格がおかしいと否定してくる人さえ出てくるだろう。しかし、これだけは伝えたい。どんなに風当たりが強くても、言葉を探し続ける努力をやめないで欲しい。あなたの感情が拡散して消えることは絶対にない。必ず表現する方法が存在すると信じて、とにかく前へ進んで欲しい。きっと、あなただけが見つけたあなたの言葉の景色は、あなただけが見るには勿体無いと思うくらい、美しいだろう。